不適格教員からの出発

実体験をもとにした創作です。

通信制の大学に入学

 調べてみると、関東では玉川大学日本大学に教員免許を取得できる通信制の学部があることがわかった。その当時私は趣味で英語の勉強をしていたので、中学高校英語の教員免許を取ることを考えた。しかし小学校の英語教育も始まったこともあり、小学校の免許もいいなと思った。そこで問題だったのは、小学校の教員免許を取るにはピアノが必須だということだ。私は音楽が大の苦手。幼い頃エレクトーンを習っていたことがあるが、音感がまったくなく、教室の先生にひどくけなされた。そのせいで音楽全般、聴くことすら嫌いになってしまった。「ピアノがあるなら小学校の免許は諦めよう」と、日本大学の通信教育部、文学専攻(英文学)に編入学することにした。後で聞いたところでは教員免許を取るためのピアノは全然難しいものではなく、ほとんどの人は問題なく合格する、ということだったが、この時の選択は正しかったと今は思う。

そうだ、教師になろう!

 教員になる直前、私は町役場で時給800円のパートをしていた。始めたのは34歳のときのことだ。大学を卒業し、29歳で結婚するまでは民間の会社でさまざまな職業を経験した。主なものを挙げると、雑誌の編集、印刷会社のオペレーター、派遣社員、ハンコ屋の店員、地図制作会社のオペレーター、持ち帰り弁当会社の本部での広報・企画など…。私は好奇心が旺盛だ。これは長所にもなるが、仕事を継続することに関しては短所になることもある。何か新しい仕事を始め、それに慣れてくる頃になると何か他のことがしたくなるのだ。だから、独身の頃は一番長く続いた会社でも3年だった。雇用形態も、正社員だったり派遣だったりアルバイトだったりした。一人暮らしをしていたので、生活のために仕事を選んでいる余裕がなかったこともある。ただ、今の教員の仕事は通算9年続けているので、案外私には合っているのかもしれない。未だに慣れない面もたくさんあるし、辞めたい!と思うことも毎日のようにあるが、少なくとも飽きることはない。話を戻そう。

 なぜ、町役場のパートから教員になろうと思ったのか。教員免許すら持っていなかったのに…。それには、パート仲間だったある女性の存在が大きく関わっている。その女性は私がパートを始める前から長く役場に勤めていて、当時50歳くらいだっただろうか。「私なんかこの仕事ずっ~としてんのに給料は職員の10分の1でさ…。」彼女は正規の職員と比べて自分の待遇が著しく低いことをいつも嘆いていた。その人は簡単な事務補助の私と違って窓口係で、正規の職員とまったく同じ仕事をしていた。それなのに年収は10分の1ほどで有給も昇級もない。グチを言いたくなる気持ちはわかる。だけど、私はなぜかその時、「こうはなりたくない」と強烈に思ったのだ。(このままパートを続けていたら、将来こんな風になるかもしれない。それだけは嫌だ、絶対に!)

 そのためには、「これが自分の仕事」といえるものを持たなくては。できれば自分の得意分野をいかせて、定年まで勤められるものを。では自分に何ができるのか。情けないことに、その年になっても私はまだ自分のことがよく分かっていなかった。ひとまず、いちばん身近な夫にたずねた。「私の得意なことで、仕事に生かせることって、何だと思う?」夫は、20歳から公務員を続けている。転職の多かった私の経歴を何かにつけバカにしていた。しかし、私のことは誰よりもわかっているはずなので、意見は参考になるはずだ。夫は即答した。「お前の得意なことといったら、勉強しかないじゃないか。」

 私は国立大学を卒業している。とは言っても一流大学ではなく、首都圏の中堅国立大だ。とはいえ、世間一般的には、特に定時制高校しかでていない夫からすれば、「勉強が得意」といっても差し支えないのではないだろうか。現に小中学校時代の成績は「クラスの女子で一番」というのが私の定位置だった。残念ながら、「クラスで一番」でも「学年の女子で一番」でもなかった。同じクラスには必ず、自分よりできる男子がいたし、同じ学年には自分より成績が上の女子がいた。 

 それはともかく、当時の私は「勉強をいかしてなれる職業といったら、先生だ」と単純に考えた。夫が朝早いので、夜がメインになる塾の先生は却下。昼間からできる先生がいい。と考えた。そういえば、役場には不登校の子どもたちに勉強を教えるところがあると聞いた。そこで、役場の上司に相談した。「不登校の子どもを教える仕事がしてみたいのですが」「そういえば国立大学でてるんだよね。教員免許は持っているの?」

 うかつだった。公的な場所で勉強を教えるには教員免許が必要なのだ。私は今から教員免許を取るにはどういう手段があるか、調べることから始めた。「そういえば、作家の乙武さんが通信制の大学で社会人になって教員免許を取った」と聞いたことがある。通信制の大学に入る、というのはどうだろうか。

異色経歴を持つ教員

 4月の学校には緊張感が漂う。新しいクラス、新しい先生。生徒にとっても教員にとっても、どんな1年になるかは一緒にすごす人間で決まるからだ。残念ながら、お互い希望通りにならないことも多い。「なんで今年の英語、先生じゃないの~?」「あ~また先生に教わりたかった、今度の英語、サイアク!」昨年度担当した生徒たちからこんな風に声をかけられる。教員冥利につきるというものだ。もちろん私もはじめからこうだった訳ではない。

全国に20数万いる高校教員のなかでも、私のような経歴の持ち主はそういないと思う。なにせ、37歳で大学に編入学して39歳で教員免許を取得し、教員採用試験に一発合格。しかしたった一年でクビになり、また他県で正規の教員として採用されたのだから…。そう言うと、たいていの人は「経歴を隠して採用されたのだろう」と想像するだろう。だが、そうではない。そんなことが可能なのか?それではどのような経緯でそうなったのか、順をおって説明していこうと思う。